大学卒業からはや14年?。
2007入学の自分は、比較的恵まれた世代だったように思う。
同年代のみんなは刺激的なやつが多い。先輩後輩もすごい。
多感な時期をみんなと切磋琢磨できたのはとても嬉しい。
なんだか忘れそうになったので、備忘録として記しておこうと思う。受賞をベースに、現在の彼らの所属も記してみよう。同い年は36歳とか37歳。学生から見たら、頑張った先を知ることになるのかもしれない。
千葉大学には、今も続くcuadという建築系インスタレーション団体がある。
それを始めたのがうちの年代。
原田将太郎(大工・経営者)という、なんとも味わい深い男を中心に、みんなで1万円ずつ出し合って学祭に一石を投じたのが始まり。
そのムーブメントを次いでくれた一個下の代もおもろい奴らが多い。
夜な夜な将来について語ったりもした。彼らはアトリエに就職してそのまま独立。
西山芽衣(HELLO GARDEN、西千葉工作室など)
姫野智宏(姫野建築設計事務所)
吉原環(吉原環建築設計)
きっかけを与えてくれたのちょっと上の世代。
そもそも、cuadを作るきっかけをくれたのが、和田彦丸さん(oooarchitectcture)など。このチームはゼネコンや組織を経て3人で独立してる。
人生で一番尊敬する先輩の石毛さん(スーゼネ設計部)は、日本建築学会コンペで優秀賞。
シェルターコンペで一個上の福地さんら(大手組織設計部)が全国ファイナリストになったのはすごい衝撃だった。福地さんは東京建築コレクションでもファイナリスト。
多分に憧れた一個上の坂爪さん(大手組織設計部)は学生時代に建築コンペ荒らしだった。ありすぎて書くのめんどくさいから書かないけど。現在は自邸を住宅特集などに掲載されている。
そんなカルチャーを作ったのはやっぱりコンペの受賞。
千葉大学なんて、関東国立の中では弱小。
その中で切磋琢磨したこの辺の世代は、修士の頃にコンペなどで花開く。
同い年の関根・小林・福井が4年で受賞したのは、当時の最前線。シェルターコンペ。しかも最優秀賞。1人はインテリア最大手、1人はアトリエ、1人はハウス。
o+hが学生時代にとっていたもの。度肝を抜かれた。
修士に上がってからは、同じく最前線の環境デザインコンペでスーパーゼネコンの間に千葉大学の同期らが受賞。ちなみに他のスーゼネ勢にもOBがいる。みんな組織スーゼネで頑張ってる。
邉見 啓明(辺見設計代表取締役)はユニオン造形デザイン賞でも最優秀賞を受賞している。
上田一樹(北川・上田総合計画 株式会社取締役)も建築学会コンペで全国優秀賞を受賞している。このへんの組織勢がアトリエと組んでプロポやりだすとおもろいと思うんだよなぁ。
後輩がせんだいファイナリストにダブルで出たのはビビったなあ。
たまたま審査員に貝島さんがいたから、出張帰りに現場にいたからよく覚えている。
飯澤 元哉、齋藤 弦の両氏の活躍に心躍った。
多分そんなに学生時代は受賞していないけど、
粘り強く建築に向き合ってすごい建築を作り続けている中西昭太は同期。
名古屋のハイホテルの建築設計担当は同期で内装担当は後輩。
コンペで戦える伝統を作ると、こうも評価が変わるのか。鮮やかなのか、と。それらを横目で見てきた。
だからこそ、大学名なんかより何より力があると言うことを身にしみて感じていた。
この年代の千葉大のみんなは空間を作る能力がすごく高い。組織に行く人が多いのだけど、とにかく気概がある人が多かった。
ざっと、思いつく人はあげたけど、
細かいコンペとかをあげ出したらキリがないので割愛している。これ以外にも独立している人もいるかもしれない。抜けてたらごめんなさい。
でも、コンペが全てではない。
最低限はトライしたけど、
設計は、作る建築だけが全てではない。
作った後に何が残るのか。
設計が上手いだけだと、それは自己満足にもなりうる危険性がある。
だから、論文書くのも能力だし、プロジェクトを起こすのもそう。その辺が弱いからか、彼らの名前を建築メディアであんまり見ないのは悲しい。
自分の生き様の礎は、これだけ「取る」みんなが周りにいたから。
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